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主宰:川津商事株式会社
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年末年始特別号  −グローバリゼーションVSサブカルチャー−

〈2016年 年末特別号〉

今年も一年を総括する時期になりました。今年のニュースレターを 振り返ってみると、年初にポピュリズムという言葉が登場して以来、 イギリスのEU離脱、そしてトランプアメリカ次期大統領の登場に 至るアンチグローバリゼーションの台頭を感じる年でもありました。

今年の弊社ニュースレターのFBで異常なほど関心が高かったのが 「官能都市」であった。官能都市というキーワードの論文を紹介し たニューレターがFBで最高のヒットを集めた。「官能都市とは“最 近、不倫をしたことがある都市”である」という解説がインパクト ありすぎた等の理由が考えられるが、明らかに都市の表の顔に対す るニーズではない。

ということは、社会に表に対する背景、つまりサブカルチャーに対 するニーズが強烈に存在することが言えよう。今、日本の都心で東 京・大阪あるいは近場で名古屋駅前の大型プロジェクトに見られる ように、グローバル基準ともいえる最新の技術革新、ハイセンス、 高級ブランドの器(商業施設、高層ビル)が登場しつづけている。

今までとは違った、東京あるいは海外都市等上位の文化が感じられ る。ちょっと背伸びをして、おしゃれをしていく街が登場したわけ だ。新しい時代の洗礼された街並み対する羨望が回遊ニーズを喚起 し、市場を引っ張っている。

しかしその一方で、今まであった庶民のいわゆる社会のサブカルチ ャーが失われていった。なくなればなくなるほど、新しいおしゃれ な都市、器の登場に対して、普段着の、仕事の帰りの疲れた体に何 の体裁も構わず、方言丸出しで愚痴をこぼす酔いどれの赤ちょうち ん、体裁を気にせず官能の向くまま回遊行動ができるエリア、時に は人に見られたくない人の内面を吐露できるエリアに対するニーズ がより鮮明になっていく。

サブカルチャーは社会の上位文化(ハイカルチャー)に対する下層 文化を意味する。下層とは社会の上位の体裁の良いブランド文化に 対する概念である。しかし上位と下位の文化が別々に存在し対立し ているのではない。

従来の社会構造は、上位の社会文化はその下位のサブカルチャーか ら進化、派生する。つまり庶民の雑多、多様な文化から生まれたの が社会の上位に位置する社会文化であり、このサブカルチャーなく して社会の上位文化は生まれない仕組みになっていた。

そしてこれらのニーズにこたえるための階層社会を例えば一つのビ ルで考えれば、地下の階層には外から見えないバー、スナックのよ うな飲食店で、おしゃれに関係なく人間の内面・庶民文化を育み、 最上階の展望レストランでは非日常的な高級レストランが位置する。 このような多様なニーズを満足できて初めてビルという社会が成り 立つわけだ。

しかし最近登場する最新の商業施設、例えば名古屋駅前を例にとれ ばミッドランド、大名古屋ビルディング等高い階層には予約を必要 とする非日常的なレストランが位置し、階下に行けば庶民的なるか と言えばそうではない。

基準階にもご当地初出店の東京の有名な飲食店が位置する。そして 地階でも高級な食材店、スイーツ店、ブランドカフェ点が位置して いる。入店には行列が当たり前で、初めから気合を入れて行かなく てはならない。サブカルチャーがなくなり、外から完成された比較 優位ある優れた店舗が誘致されているわけだ。

サブカルチャーの本質的な特徴の一つが真似、模倣である。サブカ ルチャーの代表である漫画を見ればわかりやすい。よく漫画には、 様々な実在、あるいは歴史的な偉人等のキャラクター、話題が、時 にはそっくりそのまままねして登場する。それが許されるのがサブ カルチャーである。ハイカルチャーである文学、学問・美術では模 倣は絶対に許されない。犯罪である。

例えばワンピースに登場する海軍大将は誰が見ても勝新太郎、松田 優作、菅原文太、田中邦衛のキャラである。これらを模倣して新し い革新的なオリジナルワンピースがハイカルチャーに影響をもたら す。まねと模倣で手を加えて長年継承され親しまれた地域のソウル フードがあって初めて、その上位に完成された上品な日本懐石料理 がある。これらは対立してはいない。むしろ因果関係にある。

高級リストランテで食べるイタリア料理には、イタリア家庭料理で あるマンマがそのまま出ることはない。しかし家庭の母親が作るマ ンマがあってその上位にイタリア料理が成立している。サブカルチ ャーである家庭料理が充実していて初めて上位のイタリア料理があ るわけだ。サブカルチャーなくして上位の文化は成り立たない。(フ ランス料理はフランスの庶民の料理から派生したものではないと理 解すべきだろう。)

どんな都市でも、まず様々な真似・模倣が永年刷り込まれたサブカ ルチャーがあり、そこから進化して初めてオリジナルとなり、世界 に発信できる文化が成立する。都市のマネジメントを考える時、い きなり完成された他所からのブティック、ビジネス・文化を持ち込 むのではなく、やがてハイカルチャーの卵となるサブカルチャーを 育てることが重要になるわけだ。これが従来の社会構造であった。

今年の、ポピュリズム台頭、選挙前のトランプ*、フィリピンのドゥ テルテ、ブレキジット(イギリスEU離脱)、イタリアの国政選挙等 はいずれも反グローバリゼーションと言われている。そもそもグロ ーバリゼーションとは何か?(*トランプは今後どう変貌するかわか らない。)

グローバリゼーションの自由貿易の正当性を裏付ける経済理論が、 貿易論の比較優位論である。比較優位論とは、貿易を世界レベルで 見た時、それぞれの国が品質・価格において優位のある農産物、工 業生産物だけに特化し、それを世界中に輸出し、それぞれの国の優 位性のない非効率な農作物、工業生産物は市場から撤退し、優位性 のある他国から輸入する。

その結果、効率の悪い財物の生産がなくなり、世界経済が比較優位 のある効率的な農業、工業生産物ばかりになり、全体の利益が最適 化するという理論である。

当然優位性のない品質の悪い高い農作物を買うより、優位性のある 安い農作物を他国から輸入したほうが、世界全体で見れば便益が高 まる。優位性を流通するための「公平な自由貿易」、比較を実効性あ るものにするための「公正な市場競争」こそがグローバリゼーショ ンの本質になるわけだ。

しかしグローバリゼーションによると、優位性あるトップの食品、 工業生産物だけに特化し、下位の発展途上の知財物は放棄してすべ て他所から調達すべしということになる。従来の社会構造であった 優位のあるハイカルチャーと、発展途上のサブカルチャーの因果関 係は否定され、二者択一の排他的関係になる。

ところが、現実の社会では、サブカルチャーを否定すればするほど、 逆にサブカルチャーに対する本能的なニーズがより鮮明に強くなっ てくる。自由貿易を嫌い、サブカルチャーの成果の保護を求め、民 族のアイデンティティの保護を要求する。それがポピュリズムが台 頭してきたと解釈される現象の本質である。

人は誰でも、立派になりたい、進化したい、より優れたものを作り たい、高い評価を得たい。これらは最初から出来上がった文化では なくスタートすべてサブカルチャーである。このサブカルチャーの 声の高まりは、サブカルチャー切り捨て外国から優位或るものを自 由に持ち込むフリートレードに対する反感となって現れる。その叫 び声こそが、今言われているポピュリズムの本質である。

グローバリゼーションに対する批判は他にもある。グローバリゼー ションのほんの少しの勝者と、その他大多数の敗者を生むシステム である。比較優位論の比較は競争であり、比較が進めば進むほど勝 者はどんどん少なくなり、敗者がどんどん増えていくシステムであ る。

敗者が増えれば、敗者復活のサブカルチャーの声が大きくなること は当たり前である。しかし世界のグローバルスタンダード社会にお いて、席が用意されるのはサブカルチャーではなく比較優位あるも のばかりである。

2016年日本不動産学会の秋季大会で「テクノロジーの進化は街と産 業に何をもたらすか?」というシンポジウムが開かれた。この中で IT技術の進化によるコミュニケーションの変化が大きな話題とな っていた。

メール、SNSでのやり取りから、テレビ電話によるやり取りまで、 みな直接会うフェイスtoフェイスのコミュニケーションがなくな ればなくなるほど、逆に人と直接会う機会に対するニーズが出てく るという報告があった。

これは必ずしも、テレビ電話で要件をすます人、メールで要件をす ます人に後で直接会いなおすことを要求するのではない。別の人、 別の機会でも人に会う機会があれば、人と人のつながりとして、自 然とそれを非常に重要にするようになる。コミュニケーション、飲 み会等に対するニーズが高まるという発想だ。まさにサブカルチャ ーに対するニーズである。

では飲み会が増えているかと言えばそうではない。そういった場が なくなってきているのである。そこに社会の齟齬があるのだろう。 最近は家庭内でもメール、SNSでコミュニケーションをするケース が増えている。そういった人は外で直接人と接する場を自然と要求 するようになるとすると、それがサードプレスであり、そういった 場所が多い都市が官能都市となる。

直接会わなくてはできないのがSEXである。家庭内をITの進化に よるSNSでコミュニケーションをすます人が、家庭以外で直接会う 機会を求めれば自然と不倫になる機会も増えよう。(不倫は絶対ダメ です。本稿は不倫を容認するための議論ではありません。)IT進化 の結果、社会が官能という言葉に敏感になるということは、こうい った理由によるものと考えられる。

たまたま最近のガーディアン紙に“Love and marriage become virtual reality in Japan”という記事が掲載された。日本の少子 化問題の本質は、結婚危機ではなく人間関係の希薄による危機であ るというものだ。人間関係が構築できないがゆえに結婚もせず、子 供も生まれないという論評である。

記事によると、日本の未婚の20歳以下の男性の70%、女性の75% がSEX経験がない。バージンレートがリアルな人間関係の希薄と関 係しているという知見を紹介している。さらに20歳代の未婚の男 性の15%、女性の30%がゲームのキャラクターやミーム*(meme) を恋してしまっている現状を紹介している。

*外国から見ると「ミームに恋してしまっている」のが日本の若者 らしい。おじさんたちはまず「ミーム」を理解する必要がある。
admitted to having fallen in love with a meme or character in a game

何が言いたいかというと、つまり日本の若者が求めるサブカルチャ ーは、実際の都市の中にはなくゲーム、ネット等のヴァーチャルな 世界に求めてしまっているという問題である。若者のサブカルチャ ーニーズに応えるリアルな社会が存在せず、ネットにしかないので ある。

官能都市というシンボリックな表現ではなく、単純にリアルな人の 関係が構築できる場所が、本来、都市にはなくてはならない。しか しその一方で一度もそういった世界を知らない、まだそういった世 界を経験したことがない若者が、リアルな都市の中で探すことをあ きらめて、仮想社会にサブカルチャーを求めだしてしまっていると いうことになる。

又かつてそういった場所での生活を知っている年配の人も、IT情報 技術の進化でリアルな人間関係が家庭、属す社会で見いだせず、そ の反動として、サブカルチャーの中でも最も深化した不倫に走って しまうという説明はどうだろうか?(どんな理由があろうとも不倫 はいけません)。

昨年、ピケの資本論が社会を席巻した。ピケの考えは資本収益率が 成長率を超えることにより格差が拡大したというものだ。グローバ リゼーションで勝者が減り敗者が急増すれば、効率の悪い敗者が資 本運用する世界が減り、限られた勝者は生産性が高い故生き残り、 彼らが運用する資本は効率がいいに決まっている。グローバリゼー ションにより格差が拡大し、資本効率が成長率を抜いていき、それ が敗者を復活させない要因となる。

さて前置きはこのくらいにして、今年を総括します。今年は、1980 年代以降初めてグローバリゼーションに対する疑義が顕在化した年 である。グローバリゼーションの比較優位論はサブカルチャーを認 めず葬り去ろうとしている。そして敗者を生み続けている。

敗者が増えれば増えるほど、サブカルチャーに対するニーズは声を 上げる。エスタブリッシュメントは、その現象をポピュリズムとし か理解でていない。エスタブリッシュメントいわゆる上位の支配者 層はグローバル市場での競争が職責でもあるからだ。

サブカルチャーの居場所が必要になっているわけだ。目的はサブカ ルチャーがハイカルチャーを生む社会システムの再構築である。社 会、そして社会の器である都市のマネジメントは、サブカルチャー を育てるという観点から、どのような街づくりをしなくてはならな いか?若者がネットではなくリアル社会でサブカルチュアーをはぐ くむ都市とはどのようなものか?もう一度考え直す必要性を問われ ていると考える。

以上、グローバリゼーションVSアンチグローバリゼーションとい う対立構造で議論を展開した。しかし、今の勢いに乗って、アンチ グローバリゼーションがグローバリゼーションを駆逐することはな いだろう。今後、様々なところで対立軸の軋轢が生じることになる かもしれない。

グローバリゼーションを推進する側も言及する必要がある。まずア ンチグローバリゼーションをポピュリズムとして否定する人たちの 代表は比較優位論を絶対と考える経済学者である。そしてアンチグ ローバリゼーションを否定し、強力にグローバリゼーションを推進 するのは、Amazon、apple、サムソン、ファイザー、ネッスル、マイ クロソフト、フォード・・・等等、巨大な他国籍企業である。

もはや中国、ドイツ、日本と言えども国家的地勢が、グローバリゼ ーションを推進する主導的立場にはなくなる。そもそもグローバリ ズムは国家概念を壊すもので、それを国が推進することは本末転倒 である。むしろ他国籍企業に依存する都市が、多国籍企業の利害関 係者となり、擁護することになる。

従来、因果関係にあったサブカルチャーとハイカルチャーがグロー バリズムを優先すると対立軸となってしまう。今後このイデオロギ ーの対立と都市マネジメントの在り方が問われることになろう。都 市のステークホルダー、管理者そして主権者の考え方が問われてい るのである。

格差問題は民主主義の根底を崩す厄介な問題である。グローバリズ ムのすべてが悪いわけではないが、格差問題を放置して、エスタブリ ッシュメントがポピュリズムの悪いところだけを連呼して叩く事は 正当化されない。日本が本当に解決しなくてはならない格差問題は、 ソフトバンクの孫氏と保育園落ちた日本死ねの人との格差ではない。 もっと重要な格差は東京と地方の格差の広がりである。下手をする と東京がエスタブリッシュメントで地方都市が対立するサブカルチ ャーになりかねない。

東京の成長はもはや歯止めがきかなくなりつつある。東京の成長が、 従来の日本の成長を支えてきた同質性、平等性を逸脱した領域に入 っていることは誰の目にも明らかである。多くの学者が東京一極集 中の行き過ぎを懸念するが、すでにガバナンスがきかない。それは 東京の成長が日本の利益によって起きているのではなく、グロー バリゼーションの利益擁護の力によってなされているからである。

今年も一年暴走気味のニュースレターを最後まで読んでいただいて ありがとうございました。来年も皆さんのご多幸を祈念しまして今 年も筆をおくことにします。ありがとうございました。

以上

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