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2000年までの名古屋圏の特徴
名古屋を中心とする経済圏は名古屋市圏から愛知県圏、愛知岐阜三重の東海三県、東海三県に富山県・ 石川県・静岡県を加えた中部圏の規模でとらえる事ができる。名古屋圏は日本の地理的な中心(へそ)に位置するところにあり、 東西の交流の通過点でもある。特に西日本と東京、関東圏を結ぶ通過点にあり、これらの特徴・文化の影響を適度の影響を受け、 一見独特の特徴・文化を持っているようには見えるが、東西の文化とかけ離れたものでは決して無いともいえよう。
愛知県の経済パフォーマンスは、どのセクター、部門をとっても、 日本の中での全国ランキングが5位から10位の間に位置する平均的な上位グループに位置する。 がその一方で秀でるセクターが少なく平均的な存在として見過ごされる事が多い。 広域上場企業が名古屋支店として名古屋に拠点を置き、東海地方或いは中部地方を管轄する場合、 このエリアの所轄の支店が売上額等の全国に占めるシェアは平均的に10%といわれている。 一方各産業別の名古屋圏の市場規模(総生産)を見てみてもやはり10%前後である。
名古屋圏では愛知県の製造品出荷額が全国1である事が盛んに言われる。 何を意味するのだろうか?愛知県以外ではおそらく殆んど認知の無い数字である。 関東、関西圏合わせて50%以上を占める製造品出荷額の中で10%というシェアは、 マーケティングのメカニズムから言えば関東圏がチャンピョンであり、関西圏がチャレンジャーであり、 名古屋圏がニッチーのポジションとなる。 海外から見ても、日本の産業構造は、東京圏と、関西圏だけでで50%以上を占める非常に偏った特異な産業構造と紹介される。 県単位の出荷額が市場の抑止力になる事はまず無い。
ニッチー企業がとるべき戦略は、 トップ企業であるチャンピョン或いはそれに続くチャレンジャーと同じ総花的に全ての部門で競争していても勝てるわけが無い。 得意な分野に特化した戦略にあるはずである。これがマーケティングの原則である。 東京等の市場のチャンピョンの全ての面で競争し総生産など総合平均で評価されようとする限り、平均して5-6位となり、 名古屋圏は永久的に「その他の地方」のポジションでしかないことになる。
高度成長(1960-80)を経て、バブル経済(1980-90)の時期には、 日本の経済のビジネスモデルが「総合」を標榜した時代でもあった。 企業はじめ全てにおいて「総合」的な経済スタイルを求める時代においては、 名古屋圏は明らかに一つのニッチセクターとして埋没してしまっていた。 しかしバブル経済の破綻を経て総花的な経済スタイルをやめ、各企業がそれぞれコアに特化するように、 得意な分野に特化した見方をしてみると、名古屋圏の得意とする分野は、単に日本の中だけのトップではなく、 自動車・輸送機器関連等、日本が世界に通じる唯一無二の分野であり、 名古屋経済圏のパフォーマンスの評価がトップクラスのものに見直される事となった。
日本全国において、それぞれ特化した産業に日本の1がそれぞれあるはずである。 しかし愛知県においては単に、自動車製造業製造品出荷額等(2002年)は16兆円以上有り日本全体の50%以上を占めているだけではなく、 この部門が日本が世界に競争でき、かつ競争優位な立場を取れる数少ない部門であることが他と違っていた。 名古屋の市場での戦略ポジションを日本で東京大阪に次ぐ第3のグループに置くか、 輸送機器産業という特定の産業に特化し日本ではなく世界の中でナンバーワンの産業セクターに置くかと言う問題である。 名古屋の「戦略」である。
広小路・伏見のビジネスモデル
日本は、高度成長期からバブル経済にかけて、間接金融システムにより経済のファイナンスを担ってきた。 間接金融システムとは個人から集めた預金を、資金需要のセクターである企業部門に仲介融資をするシステムである。 預金は要求払い預金であり要求があればいつでもは以来戻しされなくてはならない。つまりリスクの取れないノンリスクマネーである。
日本の企業ファイナンスの特徴は、このノンリスクマネーを使った市中銀行によるメインバンク制を中心とした護送船団方式といわれる、 日本独自のビジネスモデルであった。間接金融システムにより供給されるマネーは、本来リスクがとれないノンリスクマネーであり、 護送船団方式によりシステム全体でリスクをカバーする事により各企業、投資事業のリスクをファイナンスしてきた。 《右写真は名古屋駅前から伸びる広小路通りと錦通にはさまれた名古屋の広小路、伏見金融センター。 写真ではまわり街区より低層の建物利用がわかるはずである。銀行の名古屋支店が歴史的な建造物になっており、 高層ビルの建て替えが遅れているエリアでもある。
しかしシステム全体のリスクの許容範囲を超えてしまうとシステム自体が破綻してしまう事になった。 これが1990年代後半の金融クライシスであった。もう一つ日本の経済を側面から刺激してきたのが公共投資等の財政支出であった。 建設業界を通じて公共投資が市場にインセンティブを与えてきたわけだ。このような金融センター、 ビジネスセンターは日本の都市構造にも大きな影響を与えてきた。
名古屋では旧東海銀行或いは他の都市銀行の名古屋支店の拠点として、 又ゼネコン等の名古屋支店が集中する拠点として、広小路・伏見エリアが金融センターであり、ビジネスセンターとして君臨してきた。 このセクターが高度成長時代、バブル経済時代を通じて名古屋の要として経済を牽引してきた事は事実である。名古屋の都市構造は、 この広小路伏見の金融センターを中心に、東京資本等の名古屋以外の外部企業の出先機関が集中する名古屋駅前ビジネス地区、 栄(さかえ)地場産業商業地区、錦三丁目飲食店地区が、 それぞれの機能を補完しながら名古屋エリアと言う一つの大きなエリアを構成してきた。《右写真旧東海銀行本店》
例えば東京資本の企業が名古屋の地場産業の企業にビジネスチャンスを求める時、 名古屋駅前から広小路の金融センターに出向き、護送船団方式のネットワークを使い、 栄以東に位置する地元企業とアクセスした。そして飲食をしながら懇親を深める機能を錦三に求めたわけである。 同じように商業機能も栄に求めてきた。それぞれの地区が機能を補完して一つの名古屋エリア形成してきた。
これが名古屋の高度成長からバブル経済の堅実なビジネスモデルを支えた都市構造であった。
《右写真は広小路にある都市銀行名古屋支店》
しかしバブル経済の崩壊と共に、護送船団方式をビジネスモデルとする間接金融システムが崩壊し、 旧東海銀行がUFJ、更には東京三菱に吸収され実質的にこの地区に存在しなくなり、 もう一つのビジネスセクターであった公共投資の縮小によってゼネコンも広小路・伏見においてその存在を縮小している。 この結果広小路・伏見エリアの経済パフォーマンスの地盤沈下が生じた。 従来のネットワークの中心的なポジションを占めてきた広小路・伏見エリアの地盤沈下は、名古屋の各地区の機能分解を起こし、 周辺の栄、名古屋駅前或いは金山等の各エリアを分解独立させた。《右写真はゼネコン、銀行が並ぶ広小路伏見の街並み》
名古屋駅前エリアの台頭
特に名古屋駅前においては一つのエリアとして独立し、従来他のエリアに機能を補完してもらっていた機能、栄の商業機能、 錦三の飲食店機能を、名古屋エリア内で新たなニーズとして急速に拡大し始めた。
同時期に名古屋駅前エリアでは従来にないパラダイムチェンジに直面していた。 まず国鉄民営化によるJR東海の登場である。セントラルタワーズと言う複合巨大商業施設を登場させ、 きわめて安定した閉鎖的な名古屋駅前地区に民営化による市場原理を持ち込んだ。 2000年以降のビジネス経済地殻変動によって名古屋駅前は地区から独立したエリアになった。 更に時代背景として、都心への回帰、三重県、岐阜県での商業市場構造の変化があった。
JR東海のツインタワー・セントラルタワーズに象徴されるのは2000年に開業した高島屋百貨店である。 名古屋には4Mと呼ばれる松坂屋、三越、名鉄、丸栄の4つの百貨店が安定したシェア構造の市場を維持してきた。 高島屋はこれら4Mと一定の距離を置きながら、従来とは違ったビジネスモデルと登場させた。 このビジネスモデルは厳密にはJR東海との合弁(高島屋の持分30%)による異質なものであり、 従来の純正高島屋百貨店のビジネスモデルとも違っていたといえよう。
必ずしも東京から仕入れ業者を連れてきたのではなく、 むしろ名古屋にありながら従来のしきたりで4Mの市場に入れなかった元気のある斬新な業者を取り込んだのである。 JR名古屋高島屋百貨店は当初単年度黒字6年、累積損の償却20年という計画で、初年度500億円の売上を計上した。 しかし開業まもなくして経常度黒字を実現し、開業4年目で累積損を一掃するという近年日本の百貨店史上で類を見ない成功を収めた。
一方名古屋駅前エリアの本来の特徴を見てみると、 豊田・毎日ビルミッドスクエアーランドを建設するに当たっておこなった環境アセスメント調査において、 一日の通行量が名古屋駅ロータリー前で平日で7万6千人、休日で9万1千人。旧豊田ビル・名鉄メルサ前で平日8万1千人、 休日で11万7千人もある。つまり必ずしも平日だけのビジネスエリアではなく、 名古屋駅を中心にした駅利用者の多様性が潜在的にもあったエリアであった事がわかる。 名古屋駅前が必ずしも東京の丸の内等のようなビジネスだけのエリアではなかったわけである。
更にこの時期、名古屋駅前マーケットに大きな影響を与えた要因がある。都心への回帰現象である。 愛知県の豊橋、岐阜県の岐阜市、三重県の松阪、桑名、四日市等の名古屋の周辺都市部の商圏の名古屋駅前エリアへの吸収である。 もちろんその背景には国鉄民営化、名鉄との競争によるサービスの向上により、名古屋駅への利便性が非常のよくなった事も上げられる。
名古屋駅前エリアの回遊性
名古屋駅前エリアが高島屋百貨店、セントラルタワーズの登場によりなぜここまで活性化されてきたかについては、 その本質をもう少し議論する必要がある。 単なるセントラルタワーズという大規模商業施設登場によってこのエリアが活性化されたのなら、 従来からあった名鉄百貨店、近鉄パッセ、名鉄セブン、名鉄メルサ、名鉄レジャック、ユニモール、 地下街サンナゴヤ等の大規模商業施設はどのようなポジションを市場の中で持っていたのかという事になる。 セントラルタワーズと、これら以前からある大規模商業施設の違いは回遊性にあると考えられる。
回遊性とは、最近のエリア戦略に非常に重要な概念として注目されている考え方である。 回遊性とは人を徒歩で回遊させる事であるが、回遊性の本当の意味は、そのエリア内での滞留時間を長くさせる事により、 そこでのビジネスチャンスを増大させ、顧客を囲いこむというものである。 つまり来場者が長く居れば、おのずとそこでお金を使い機会も多くなるわけだ。 しかし回遊性がないと、つまり居心地が悪く、あるいは便益性が悪く目的が達成できないと、 その目的を達成するために他のエリアに流出してしまい、ビジネスチャンスがなくなってしまう事になる。
回遊性とはマーケティングで言う顧客の囲い込みである。今では回遊性という戦略は、 あらゆる商業施設にとって非常に重要な武器となっている。どんな複合商業施設においても、 来場者を時には休憩させる場所を提供して、飽きさせる事無くもてなすホスピタリティが工夫されている。 物販の売り場店舗でも、単に商品を所狭しと陳列して顧客に商品を提案する事だけを考えるのではなく、 ゆったり人を回遊させるだけのスペースを設けて潜在的な顧客を囲い込む店舗ディスプレイ政策が必要になる。
回遊性の戦略は最近の概念ではない。回遊性の元祖は東京銀座の銀ブラである。 銀座通りをブラブラさせる事こそまさに元祖回遊性である。銀ブラは、 時代の趨勢に応じてその人が歩く距離が微妙に変化するといわれる。その距離は、 人によって違うが、概ね1.5kmから500mといわれている。 これはひとつのエリアコンセプトがこの距離に収まると考える事が出来よう。
回遊性は平面的なストリートだけではない。最近流行の50階以上の複合高層ビルでも、そのビルの中で回遊性を求める事が出来る。 この回遊性により高層ビル、ストリート、あるいは地下街での顧客の囲い込みが出来ると、収益性を上げる事が可能となる。 しかし回遊性には別の面もある。これは回遊性がある商業施設では、お互いが顧客の囲い込みを行い、 それはそれぞれの商業施設の排他的な競争になる事を意味している。
面白い事例が、 銀座通りに高層ビルの商業施設の計画が持ち上がった時、銀座通り商店街が反対した事である。 銀座というストリートを大規模商業施設とみなす事によって、銀ブラと言う回遊行動が生まれる。 そこの高層ビルつまり立体的な商業施設が登場すると、その回遊性の流れを横取りする存在になりかねないというものである。 このように回遊性は、その商業施設までの人を呼び込むアクセスについては重要視させるが、 他のエリアへ流れるアクセスについてはきわめて消極的なる考えが生じる、これが市場原理でもある。
名古屋駅前エリアにおいては高島屋・セントラルタワーズが回遊性を提供した事によって、 平日より多かったつまりビジネスエリア人口以外の人たちの居場所を提供し、 名古屋駅と各商業施設との通勤の手段でしかなかった施設に滞留場所を提供した事になる。 高島屋の1階中心のJR名古屋駅のコンコースが待ち合わせ場所などの回遊性の起点となっている。 セントラルタワーズでは、ホテル、オフィス、 百貨店、飲食店の接点つまり交流の場所を13-15階に余裕のあるスペースで回遊性のもう一つの起点を持たせている。 回遊性の起点には、無味乾燥した場所ではなく、華やか性、エンターテイメント性、快適性を持たせて従来との違いを表現した。 更に高島屋百貨店では売り場の真ん中に休憩所を配置して、安全性、 休憩性(実際に休憩しなくてもいつでも休憩できるんだという気分を持たせる)を演出している。 上記写真では、左が人が滞留しているJR名古屋駅コンコースで、右が名古屋駅前地下街の通勤客風景両方とも午後6時。
このようにセントラルタワーズという商業施設の本質は回遊性を名古屋駅前エリアにもたらした事より、 このエリアの利便性を格段の向上させた事になる。このような名古屋駅前エリアの活性化により名古屋以外のビジネスが注目し始めた。 今まで名古屋エリアのなかった新規ビジネスが名古屋駅前エリアに出店を希望するようになってきた。またドラッグストアー、 電気専門店、大型本屋等の専門販売店がこのエリアへ参入し始めた。
弊社ではこれら一連の名古屋駅前のリテール(小売) 市場の成長は2000年以前を基準として2倍は拡大する可能性があると予想していた。 次の表は高島屋百貨店が名古屋駅前エリアに登場する前の1998年と、 出店後の2004年の名古屋の百貨店の売り上げの変化を示したものである。
一つのベンチマークとして名古屋駅前エリアの百貨店の売り上げが、 2004年までに1.5倍になっている。しかも名古屋全体(4m+高島屋)の売り上げは大きく拡大していない。 つまり吸収という現象で名古屋駅前エリアが拡大している事を物語っているといえよう。 おそらく今後出店が予想される伊勢丹百貨店、 ミットランドスクエア等に登場するブランド店に代表される専門店、 路面店等の登場により2010年までには概ね2000年の2倍のリテール市場に拡大するものと考えられるのではないだろうか。
弊社が行ったアンケート調査等では特に地上の路面店に対するニーズが非常に強く、桜通り、 下広井町線における地上の回遊性がこのエリアの当面の重要なニーズとなるのではないだろうか。
このようなニーズに応えるには、細部にわたって、新規ビジネスが参入しやすい環境を作り上げる必要がある。 たとえば従来の名古屋駅前のビルはオフィス対応のビルである。名古屋駅前のエリアでは最も新しいビルでも築10年以上経ている。 テナントの個別の要求にはほとんど対応できないビル施設となっている。 新規参入のリテール業のテナント(ソフトオフィスも含めて)は他との差別化を求めてくる。
これらのニーズにカスタマナイズした対応が出来なければ、新規ビジネスの市場参入は期待できず、 これ以上の市場の成長も望めないものとなる。名古屋駅前でおきているリテールニーズは、岐阜、 三重の商圏望むワンランク上の購買行動を満足させるものと、名古屋駅前で働く就業者の購買ニーズである。
名古屋駅前エリアとエリア間競争をしている栄エリアは日本でも有数の回遊性があるエリアである。 その違いはユーティリティースペースの広さにある。 久屋大通り公園をはじめ、大小の公園が非常に機能的な存在を持っている。 歩道の広さなどの名古屋駅前とは比較にならない。 栄の商業地としての潜在能力は日本全国の他の大都市と比較しても決して引けをとらない。
日本のオフィス市場の潮流
従来の日本の経済システムは日本全国均等に営業資産を配分していた。 ほとんどの県庁所在地に営業所を配置し、更にその先にブランチを配置して、 フェイスtoフェイスによる顧客とのカスタマーリレーションシップを構築していた。 生損保、証券仲介業務、ファイナンス、あるいは各種メーカのカスタマーサービスがそれであった。
バブル経済崩壊後企業の収益力低下に直面して、営業資源の効率的な配分の見直しが行われた。 結果的にビジネスチャンスの少ない地方への配分が見直しされ、ビジネスチャンスの多い東京への集中が進んだ。 東京ではこのような需要を受けて国鉄民営化後の跡地品川、汐留め等を再開して大量のオフィススペースの供給をおこなった。 一部で2003年問題としてマスコミの取り上げられた現象である。
そしてこの人・物の経営資源再配分によって損なわれた顧客とのカスタマーリレーションシップをIT、 ネット技術によって可能となったコールセンターによるカスタマーリレーションシップへと変化していった。 コールセンター需要として人件費の安い地方への設置が当初期待されたが、実際は東京近郊の設置の方がトータル的なコストが安く、 IT技術による地方の経済の活性化は無かった。これらのビジネスモデルの変化によってオフィススペースの地域需要が大きく影響を受けた。 東海地方では三重県、岐阜県、北陸地方で就業労働者の流出が起き、オフィス市場も収縮をした。
1990年代後半のリストラが大々的に行われた時期、名古屋市内では2005年万国博覧会開催、 中部新国際空港建設等の大型プロジェクトを抱え、ゼネコン業界中心にリストラの影響は比較的少なかったが、 むしろこのようなビジネスモデルの変化によるオフィス市場の変革が、 名古屋市内においても細部にわたってダイナミックな変化を起こさせた。
名古屋のオフィス市場
名古屋市内のオフィス市場は名古屋駅前、栄、広小路・伏見以外に主要な駅たとえば金山、千種、大曽根、本山、 八事等に均等に分散していた。それはオフィスビルの供給者がシングルアセットのオーナーだけでなく、 生損保業界の賃貸オフィスビルがこれらの各駅前に分散して存在していた。そしてこれらのビルには、 やはり生損保業界と株式の持合による護送船団方式のグループ関連企業が入居していた。
特に千種、大曽根の駅周辺には比較的大きな生損保系のビルがあった。 しかし1996年以降の金融ビック版による株式の持合の解消が日本で起きると同時に、これらのビルの入居率が激減し、 それはまたこれらの地区のビジネスパフォーマンス(生産性、収益性)をも低下させた。 このような地区の多くが栄より東に位置していたために、 一般的にデフレ経済による商業地の地価下落はこれらの栄以東のエリアで著しいものとなって現れた。 《上記写真はJR千種駅に位置する大型生保のビル。 千種界隈では現在ビジネスエリアのウエイトをさげ右写真のような老人ホームのような施設が登場している。》
前述したように、広小路・伏見地区の金融センターの地盤沈下と同様、生損保の貸しビルによるビジネス企業を誘致していた地区が、 日本の金融システムの変革とともにその勢力を失った事になる。2000年以降デフレ経済の末期、 日本の不動産流通市場でバルクセールというビジネスモデルが登場した。不良資産を一括して安く売却するモデルである。 この対象となった資産の多くが再編した生損保のビル、外国資本に買収された生損保業界の賃貸ビル資産であった。
大曽根は三菱電機、三菱重工、JTなどの大手企業の名古屋製作所を要した、守山セと方面の交通の要所であった。 しかし三菱重工がその跡地を名古屋ドームに変え、電気がそのウエイトを郊外の中津川などに移したため、 ビジネスエリアとしてのパフォーマンスをさげた。従来の生損保業界は不動産会社以上の実物不動産投資の非常に大きなセクターであった。 しかしその資産のほとんどがディストレスアセットとなってしまったのである。 これが日本の不動産投資市場の現実であったともいえよう。
日本の金融システムにおいて、銀行、生損保と並んでもう一つのセクターが証券である。 証券業界もオフィス市場に大きな影響を与える業界であった。 名古屋の証券業界の集積地区は歴史のある伊勢町(現中区栄三丁目)である。 証券業界の歴史は名古屋の東京・大阪等と同じようなもといえよう。 株取引は商品取引と同じように一部の資産家および玄人筋のものであった。
名古屋の歴史のある資産家といえば現在では戦前戦後の紡績産業で財を成した「糸」関係の系譜を持つ企業である。 これら企業は名名古屋では中区の本町、長者町界隈に位置する。伊勢町はこれにエリアの隣接する位置に当たる。 証券業界、商品取引業界は、東京の兜町、大坂の船場がそうであるように、決して表通りの日の当たるところではなかった。 これはあえて理由を探すなら不特定多数の一般の人を相手にする業界ではなかった事に起因するといえよう。 《右写真は名古屋の老舗、証券、商品取次会社が集まる伊勢町界隈》
しかしバブル経済時に個人投資家の拡大とともに、店舗を拡大した。これらは自社ビルではなくほとんどが賃貸店舗であった。 バブル経済の時には主要な駅、通り等の一番のフロントに陣取った。名古屋駅前でも主要なビルの一階は、 ほとんどが銀行に続いて証券会社であった。その後証券不祥事等、金融ビックバンを受けて証券業界の再編、 自然淘汰により店舗だけなく、証券会社自体が姿を消す状況になった。
これらの店舗を縮小して表から姿を消し、 従来のエリアへの回帰をしている。ポストデフレ経済といわれても新規の一般投資家の多くがネット投資家といわれ、 バブル経済のような証券投資の賑わいが起きても、以前のような形でのオフィス市場への大きな影響は期待できないであろう。
名古屋駅前は、ほとんどが東京資本の所有によるオフィスビルである。東京資本以外の地権者は名鉄、堀内、永田、鵜飼、 森定等がある。しかし名鉄、堀内を除いてほとんどがシングルアセットである。 名古屋駅前は笹島を中心に名駅4丁目から名駅南に三井不動産のビル郡が位置し、 名駅三丁目にトヨタ系の東和不動産が位置し、桜通りを挟んで名駅2丁目に三菱地所、三菱倉庫のビル郡が位置している。 このエリアのビルの多くは築40年以上経るものも少なくない。
名古屋駅前でJR東海のセントラルタワーズ以前に出来たビルは1993年の近鉄新名古屋ビル(写真大和證券の看板の奥のビル)、 それ以外は全て1980年代でありついで日興証券ビル(sanyoの看板の奥のビル)、 堀内第三ビル(大和證券の看板のビル)となる。つまり1980年以降大きな変動がまったくなたった極めて変動のない市場であった。 名古屋駅前のビジネスエリアの特徴は、主要なビル施設等の所有者の多くが東京資本と言う事である。 名古屋から見れば外資である。本来名古屋のビル市場は東京、大阪と比べてそれほど大きくない。 《写真は名古屋駅前の桜通り。左下が三菱地所の大名古屋ビルヂング、右下が名古屋ビル(トヨタホームの看板)、 写真上部中央通り左側が名古屋市の貿易センタービル》
本来大型の新築ビル施設が一つでも新規参入があると、その影響は非常に大きく、 空室率等の指標も大きくぶれる傾向にあるはずである。しかし実際は悪くても7-8%、 良くても5-6%といった空室率水準で推移し、大きな新規参入が少なく安定志向の市場であった。 このように悪くても±1%程度の変動、つまり空室リスクが10%程度の変動であれば、 当面特段の大きなコンセプトのチェンジ、プロパティマネジメントの入れ替え、 大掛かりな再投資等の企業努力をする必要が無かった。
ましてやオーナー又は本社管轄のマネジメントではなく、 支店管理であれば当然積極的な投資戦略も必要無かった。 もっとも、堅実といわれる名古屋堅気の名古屋資本のオーナーであっても同じ事であったかも知れないが。 しかしこの安定志向が、自分たちの市場の中での本来の市場競争、企業努力をある意味で排除してきた。 これが知らず知らずの間に名古屋市場を閉鎖的にしてしまってきた。
不動産のマーケケットはご存知のように、中途半端な空室より、大きな空室スペースがあるほうが、 大きなテナントの移転を誘引しやすく結果的にマーケットはダイナッミクに変動する。極論すれば大きなスペースがあり、 手厚い誘致がなされてこそ新たな参入が起きる。
中で何が起きているのか情報すらないところへ最高の駿馬が向こうからやってくることはありえない。 現在に至っても名古屋では、既存のビル一棟ごと空いてしまうような厳しい市場競争にはまださらされていない。 東京のように、一棟ごと空き、 コンバージョンしてでも新しく価値を付加してテナント企業を誘致しなくてはならないというケースはほとんど見られない。 これがまさに国鉄民営化によるJR東海が民営化=市場原理のモデルを名古屋駅前に持ち込む2000年まで状況であった。
JR東海の登場
このような競争を嫌う安定した市場に、 鉄道ビジネスの新しいビジネスモデルであるJR東海が名古屋駅前にその本社を落下傘降下的に登場した。 これが冒頭のセントラルタワーズの登場である。1937年(昭和12年)に完成した旧国鉄名古屋駅舎の解体が始まったのは、 1993年(平成5年)の事である。そして1999年JR東海セントラルタワーズが完成した。外部からの新規参入による大量のオフィス・ リテールスペースの供給である。しかも従来とは違った市場ニーズを先取りしたコンセプトでオフィススペースを供給した。 いわゆるビル施設の新しいトレンド「新・近・大」である。
これが経済の地盤沈下が激しい地方都市であったら、 単なる供給過剰になっていたかもしれないが、名古屋圏にはトヨタ自動車企業群はじめ、その他輸送機器、 製造機器メーカ関連の好調な企業業績に支えられた経済力があった。セントラルタワーズの斬新なイメージもあって、 高収益な企業がテナントとして名古屋駅前に集まりだした。新しい名古屋駅前エリアの胎動である。
従来の安定志向、競争をヘジテートする閉鎖的な市場ではなく、優良企業テナントの誘致競争が始まったのである。 それまで名古屋駅立地1になっていた名古屋の玄関にある大型ビルでは、センラルタワーズへの優良企業テナント移転に困り、 テナント募集のための1965年のビル完成以来初めてビルのパンフレットを作ったと言われている。 遅ればせながら市場競争の始まりである。
このように名古屋駅前エリアのダイナミズムは、 市場競争の始まり、高島屋、JR東海、トヨタといった新たな企業の台頭により、市場が安定志向から競争原理に移り、 極めて風通しの良い市場に変化しだしたといえよう。更にもう一つ背景を加筆するなら、 万国博覧会(愛地球博)・中部国際新空港の誘致・実現を目指して、広く外部に対して愛知県、 名古屋の経済、社会活動の理解、そして評価を得るために、外からの意見・批判を真摯受け入れてきた努力が、 ここに来て具体的な成果となって現れてきたものと考える。
都市再生
JR東海のセントラルタワーズ
1999年開業
敷地面積 約82,000u
建物延べ床面積約410,000u
オフィス棟地上 51階約240m
ホテル棟地上 53階約230m
地下 4階
デパート約120,000u 赤(店舗面積約80,000u)
ホテル 約90,000u 緑(客室800室)
オフィス約90,000u 赤紫
文化・アミューズメント施設 約20,000u 黄
その他 約90,000u 駐車場、駅施設等
当時、名古屋駅前に90,000平米もの新規供給がなされることに対して、 供給過剰を懸念する論評がいっせいにマスコミがおこなった。 その後も2006年完成予定のミットランドスクエア、 ルーセントタワー等の計画が発表されるたびにオーバービルディングの懸念が取りざたされた。 これらは容積率の特例、緩和によって建設が実現したプロジェクトである。
セントラルタワーズは名古屋駅駅舎の容積率を転用している。 ミッドランドスクエアは都市再生法の容積率緩和によって実現している。 容積率緩和によるビル建設は地価を押し上げるための水増し政策との批判もあるが、 容積率緩和は都市を再生させるメカニズムがある。
容積率による規制が実効性あるエリアでは、 つまりオフィススペースが狭くて仕事が非常に非効率的ではあるが、 容積率による規制がありこれ以上オフィススペースを広げることが出来ないエリアでは、 容積率の規制緩和により床面積を増やすと、限界労働生産性が上昇する。 そのエリアでの限界労働生産性の上昇は労働力の追加投入がおき、 他の労働生産性の低いエリアからの流入が起きる。 追加投入は新たな労働力の需要となり賃金の上昇となり、 ひいてはオフィス賃貸の上昇を起こすことになる。 結果的にそのエリア全体の生産性を上昇することになる。 これが容積率の規制緩和による都市再生のメカニズムである。
ただしこのメカニズムには前提がある。 それは「容積率による規制の実効性があるエリア」という条件である。 このメカニズムを東京で実証検証した東京大学の八田教授らの研究結果(2001)によると、 丸の内、新宿等ではこの効果が大きいが都心でも上の辺りでは効果が低い結果が出ている。 つまり実効性が高いということは逆に言えば、労働力人口が多いエリアである。
名古屋駅前エリアでの緊急都市再生法にもとづく整備地域に指定されて容積率の緩和がなされることは、 それ自体が年の生産性を上昇するものと考えられる。オーバービルディングの懸念は現在のところない。 ただし名古屋ではこのような実証検証はなされていない。 広小路伏見界隈では容積率の緩和がどのように影響するかという点については難しい問題ではあるが、 確かに広小路伏見エリアでは、労働人口が以前より減っていることは確かであろう。
しかしこのエリアの特徴は、賃貸オフィスビル以上に旧東海銀行、統廃合前の都市銀行、 ゼネコンの自社ビルが多くあることである。 ここへ賃料が下がったことにより移転してくる新規需要が最近多く見られる。 限られた賃貸オフィススペースに限って言えば容積率の規制は実行があるものと言えなくともない。
今後の名古屋駅前の再開発プロジェクト
豊田毎日ビル再開発のよるミッドランドスクエア(2006年竣工予定)、 名鉄等地元財界が事業主となっている島再開発によるルーセントタワー(2007年竣工予定)に続いて、 すでに三井不動産が旧三井不動産ビル北館で名古屋モード学園が入居するスパイラルタワーズに建設着手している。 商業系では名鉄百貨店が伊勢丹と提携をして大規模なリニューアルを計画している。
名古屋駅前の名古屋ビルの建替えも近年中に予定されている。 大名古屋ビルヂングが隣接するパークホテルとともに再開発するプランがすでに出来ている。 名古屋中央郵便局跡地が優勢民営化により今後の有効利用が期待されている。 これ以外にも名古屋駅前の桜通り沿いのビル群がすでに老朽化して空室率を悪化している。 当然これらも再開発する可能性を残している。
これらのプロジェクトの中でももっと経済波及効果が大きいと注目されているのが豊田毎日ビルの再開発ミッドランドスクエアである。 豊田毎日ビルの再開発は、JR東海のセントラルタワーズより早くバブル経済の時代から持ち上がっていた。 毎日新聞は名古屋駅前のこのビルの中で輪転機を回していた。 この施設はちょっとした工場の規模があり名古屋駅前において操業するのはあまりにも非効率であり、 何とか効率の良い利用を模索していた。再開発はバブル経済のときのような地価が高いときには話がまとまらず頓挫してしまい、 地価が沈静化して一気にまとまる事はよくある話である。 しかしセントラルタワーズの成功が追い風になったことも事実であろう。 トヨタの営業部隊がこのビルに移転してくるということでいろんなビジネスチャンスがこのエリアに生まれる事が期待されている。
今のトヨタ自動車の拠点は旧小諸豊田市にある。しかしその遺伝子は各地で引っ張りだこになっている。例えば静岡県の湖西市である。 湖西市ではトヨタの創始者豊田佐吉の生誕の地である。その後1911年明治44年豊田佐吉は名古屋の栄生工場(現名古屋市西区栄生、 名古屋駅から徒歩15分)で自動織機の研究・開発を行い、現在のトヨタグループの礎を築いた。
1913年に豊田佐吉の弟の次男豊田英二が生まれた。豊田英二は豊田佐吉の遺伝子を最も引き継いでいるといわれているが、 その後佐吉の子豊田喜一郎(1894-1952年)が興した自動車産業に、喜一郎に請われて一緒に参加している。 この豊田英二氏が幼少のころ佐吉に手を引かれて、栄生工場の佐吉が自動織機を開発する現場につれてこられている姿が、 地元現在の栄生ではいまだに懐かしい思い出話となっている。
その後トヨタ自動車の「豊田グループの中興の祖」といわれその遺伝子は脈々と受け継がれることになる。 現在豊田英二氏の肝いりで、この豊田自動織機栄生工場跡地が、 産業技術記念館としてものづくりの歴史をミュージアムにして名古屋の製造業を代表する観光の名所としている。 産業技術記念館の開場記念式には、行幸を仰ぎ、記念館の玄関で豊田家の先頭に立ってお迎えしたのも豊田英二氏であった。 英二氏のこの地に対する思い入れの現われといえよう。
このような背景があり隣接する名古屋駅周辺には豊田グループ所有の資産が多くある。 それが現在トヨタ自動車の関連企業東和不動産による名古屋駅前の再開発拠点となっている。 その他JR名古屋駅前の名古屋ビルディングがすでに2008年建替えのための取り壊しの計画を持っている。 そして同じくJR名古屋駅正面の三菱地所の大名古屋ビルが背後の名古屋市の市道、 隣接する三菱地所系のホテルをあわせて再開発する試案がすでにある。 名古屋駅前の大名古屋ビルの再開発は、おそらく長期的に名古屋経済圏の趨勢を左右する存在になろう。
写真右下からミッドランドスクエア、センタラルタワーズ右上にルーセントタワー、 写真右上部の緑地帯がノリタケの森、更にその左上写真最上部に豊田グループの産業技術記念館が位置している。
ミッドランドスクエア
[主な用途] 事務所、商業施設、駐車場
[その他の施設]シネマコンプレックス、ヘリポート
[階数高さ] 高層棟 地上40階 高さ約240m
低層棟 地上 8階 高さ約50m
地下6階
[事業面積] 約11,600平米
[床面積] 約190,000平米
[駐車台数] 約550台
牛島再開発計画
[敷地面積] 約14,000平米
[主要用途] オフィス、変電所、駐車場
[階 数] 地上40階、地下3階
[最高高さ] 約180m
[床面積] 約137,300平米
[駐車台数] 約410台
[工事期間] 2001年5月−2007年9月
開発目標
都心ビジネス拠点の形成
安定した電力供給ネットワーク形成と拠点施設の整備
牛島市街地再開発組合
名古屋鉄道 中部電力 トヨタ自動車 住友生命保険 大成建設 個人1名
スパイラルタワーズ 三井不動産
[所 在 地] 名古屋市中村区名駅四丁目27番内
[開発区域面積] 約0.8ha
[事 業 者 名] 学校法人モード学園、三井不動産株式会社
[主 用 途] 学校施設・商業施設
[敷 地 面 積] 約 3,540m2
[延 床 面 積] 約49,000m2
[規 模] 地上36階・地下3階
[建 物 高 さ] 約170m
[工 期] 平成17年10月〜平成20年2月(予定)
中期的な名古屋駅前エリアの問題と可能性
名古屋駅前エリアの地殻変動は、都市計画等の規制・行政のビジョンによって生じたものではない。 市場原理による民間の投資のインセンティブによって生じたものである。と同時に名古屋駅前エリアのダイナミズムは、 名古屋駅前だけの要因によるものではなく、名古屋圏の市場のダイナミズム、 更には日本経済のファンダ万タル図の変化によるものである。
日本の経済システムが名古屋に求めるニーズ、名古屋圏・中部圏のニーズ、 これらの地域に関与する世界のニーズへの対応なくしてこのエリアの将来性はない。 従来の名古屋駅前エリアは前述の通り、ビジネスエリアとしての機能、交通アクセスとしての機能を主要な機能としていた。 その他の機能を他のエリアに依存していた。 その代表的なものが商業機能であった。2000年以降この商業機能に対するニーズが名古屋駅前エリアの中で急成長している。
このエリアでのリテール市場の急成長は、これらニーズに応える新しい商業施設の建設を誘引する。 そして現にセントラルタワーズをはじめ、今後開発が進む大規模プロジェクトの中にそれぞれ商業機能施設が組み込まれている。 しかしこれらは市場原理によって激しい市場競争に勝つ事を前提としている。 そのため自分の施設内で回遊性を完結させて顧客の囲い込みをしようとする。他の商業施設に対して排他的な構造となる。 自分の施設までの通行動線は確保するが、他の施設へのネットワークは閉ざしてしまう傾向にある。
上記写真では、名古屋駅前で急速に拡大する飲食店市場とその反面非常に狭いエリアで窮屈な街並み。
これにはエリアとしての全体の回遊性が生まれてこない。民間の市場原理による行動ゆえに生じる問題点でもある。 次に問題となるのが、名古屋駅前にはユーティリティースペースが少なすぎる点である。 回遊性の面だけでなく防災・安全性の面からも非常に脆弱な社会基盤整備である。市場の拡大により密集、混雑、 渋滞など後起きればそれはそのまま外部不経済となり民間投資の効果をマイナスする外部不経済を生ずることになる。
自由に休息が取れる公園などのユーティティスペースがないために専門学生などが、路上で座り込んでコンビニで買ったお弁当を食べるとする。 それを見た社会人は学生たちの振る舞いにストレスを感じる。つまりこのエリアはストレスが内蔵するエリアになる。 栄のナディアパークには隣接した公園がある。この公園はわけがあって行政にによる再開発を免れた公園である。 ただの広い運動場であり構造物が一切無い。 おかげでここはナディアパーク周辺の学生、このエリアの働く人たちの自由気ままなスペースとなり、このエリアのオシャレな街並みを演出する空間となっている。 このエリアでは学生、若者、社会人がお互いストレスをためる事はない。すばらしいエリアとなっている。 《写真は公園の木の間から見るナディアパーク》
密集による人ごみ、交通渋滞等でありこれらから派生する事故、犯罪である。市場原理の欠点は市場のレフリーがいないことである。 限界投資効果(投資を1単位追加することによって得られる効用)が増大する限り投資は進むがこの限界投資効果はいずれ逓減する。
民間の投資効果が効率よく効果を実現するためには、何らかの投資をより効果的にする公共財が必要となる。それが社会基盤整備である。 道路の拡幅、公園等多目的スペースの公共施設整備、人々の活動をサポートする公共出先機関等等がそれである。 このような民間サービスだけでなく、公共サービスが得られなければ、 これらのサービスを求めてこのエリから外のエリアに人々は流出してしまう。 エリア戦略の失敗である。
人を集客する公開スペースは非常にビジネスチャンスを生む可能性が大きい施設である。 この点に注目する民間の施設は、自社施設で人の回遊の起点となる公開スペースを用意するのが最近の商業施設の特徴である。 公開スペースの管理維持はコストがかかり、その分テナント料が入らない事を考えると大変なコスト負担となる。 しかしそれでも回遊性の起点となる公開スペースが無ければ、施設全体が負け組みになってしまうことから、 多くの民間の商業施設で取り入れられている。 名古屋駅前エリアでは、市場競争原理に基づいてこのような民間の公開スペースが増えて行く事になるであろう。
しかし民間レベルの公開スペースでエリア全体の相乗効果には限界があるだろう。 名古屋駅前はビジネスエリアであるといわれているが、ビジネスマンをサポートするインフラが決して充実しているとはいえない。 銀行が統廃合して店舗数を減らしたことも背景にあるが、 いつもキャッシュディスペンサーには行列が出来てしまい非常にストレスがたまるエリアとなってしまっている。
弊社がおこなった2005年の名古屋駅前にほしい商業店舗調査では、特に路面店に対するニーズが非常に大きく、 カフェ、ビジネスサポートをするパソコンのサプライヤーはじめ、必要な物販施設も十分でない意見が多かった。 地上面での華やかさに対して強いニーズがある。カフェ等は現在でも多くあるが道路、 公園等の公開スペースがない分更に多くのニーズがあると考えられる。
中京大学の奥野教授のお話によると、特にビジネスマンの生活環境をサポートするインフラ (住居関連施設、子供の学校等)が名古屋駅前に短時間にアクセスできるエリアが近隣に無い。 企業の重要なキーマンになるビジネスマンを配転させても、 彼らが満足する相当の生活インフラが提供できず不都合が生じるというものだ。名古屋駅前のリテール市場は2000年高島屋百貨店が登場して以来順調な成長をしているといえよう。 弊社では2000年以前を基準にしておよそ2倍にはなる可能性があると予測している。そのうち1.5倍は既に成長していると考えられる。 今後の成長は今までよりは更に激しい競争にさらされ限界投資効率が落ちることが考えられる。
又競争原理に基づきエリア内競争が生じ、 例え今市場のイニシアティブをとってもそれが将来にわたって保障されたものでは決して無い。 新しい商業施設の登場によってエリアの何処がフロントになるのかさえ流動的な状態である。 オフィス市場について見てみるならJRセントラルタワーズが出来てから、旧豊田毎日ビル、 さらには三井不動産東館が再開発のため取り壊されそれに相当する床面積ぶんが減少しているのが現状である。
ミッドランドスクエア、ルーセントタワーについては既に事業主により入居が決まっている状態である。 今後再開発される老朽化したビルの増床をどのように考えるかと言う事が問題となる。前述のように名古屋駅前に関しては、 例え一時的なオーバービルディングが生じても、 それが競争原理により更に活性化されたエリアへと革新していくステップになると考えられる。 その競争を支える要素を2つ上げよう。
そもそも一連の名古屋のビジネス市場の地殻変動は、広小路・伏見の名古屋の金融センターの地盤沈下から生じている。 まず一つは新しい金融センターが何処になるのかと言う要素。 2つ目にはそれに基づくビジネスセンターが名古屋の都市構造にどの様な影響を与えるかと言う要素がある。
名古屋の新しい金融センター
前述の通り間接金融システムによる名古屋の金融センターは広小路・伏見地区であった。 今、日本で求められている新しい金融資システムは、市場型間接金融システムである。 従来の間接金融システムの日本での対語は直接金融システムであるが、これを市場型間接金融システムとしているのは、 従来の間接金融つまり銀行インフラをそのまま生かした市場対応型の金融システムを意味している。 金融業界はこのようなビジネスモデルの変化とは別に、 不良債権処理に関連して金融機関の統廃合がなされ新しい金融機関が生まれた。
それと同時にファンド等の投資ビークルを通じて直接リスクマネーが市場に供給されるシステムになりつつある。 名古屋で従来の既存の企業、投資事業だけでなく新しい事業、企業、投資が生まれるためには、 それに対するリスクをファイナンスする新しい金融センターが必要となる。新しい金融センターのシナリオは3つ考えられる。
1,東京に金融センターが集中して名古屋に金融センターが不在となる。
2,従来の広小路・伏見に再現される。
3,新しいエリアに金融センターが登場する。
1番目は東京からファイナンスでコントロールされる事を意味する。 特に新規事業等のリスクの高い投資に対するファイナンスは非常に高いリターンを要求する。 これらの高いリターンをすべて東京に吸収されてしまうということになる。 このシナリオは名古屋圏の経済の地盤沈下にもつながる最悪のシナリオである。
2番目のシナリオでは、まず弊社の格言で「新規ビジネスは新しい器を求める」というものがある。 ファイナンスのシステムが従来と同じビジネスモデルであるなら、今後の名古屋圏の経済の成長もあまり期待できないだろう。 反対に新しいビジネスモデルであるなら新しい器をも必要とし広小路・ 伏見の従来の金融センターにそのまま戻るということは考えられにくい。
3番目のシナリオとしては名古屋の地場の金融機関が新しいビジネスモデルを作り、 又外部から新しいファイナンスのマネー機関が名古屋に参入して、 新しい金融センターを作るシナリオである。 これが可能となるエリアは、名古屋駅前の新規器が供給されるエリアとなるのが必然的である。 中部圏の企業がたとえばトヨタ自動車と富士重工の新しい関係等、系列、財閥の再編の中でダイナミックな変化をしていく。
その中で、 東海銀行の流れを汲む新しいファイナンスセクターである東京三菱UFJ等が、 新ビジネスエリアである名古屋駅前に新しいファイナンスビジネスモデルを登場させると大きな金融センターとなる可能性が強い。 おそらくそれは三菱地所の大名古屋ビルヂングの再開発が出す答えでもあろう。 左下の写真は大名古屋ビルヂング。右下の写真は大名古屋ビルヂングと名古屋市の道路を挟んで三菱系列のホテル。 三菱地所、名古屋その他の地権者で再開発の構想が上がっている。
産業クラスターとして有名なアメリカのシリコンバレーでは新規の産業が多く生まれている。 その背景にはスタートアップ企業以前のアイデアに投資をするファイナンスがある。 ファイナンスというよりむしろリスクを好むカリフォルニアの気質といえよう。 この気質の根源はおそらくフロンティア精神の西部開拓にさかのぼるのであろう。 名古屋では将来に投資をすることを「倹約」「堅実」という概念で行う。 アメリカのシリコンバレーの市場原理による投機好きのリスクテーカーとは又違った特徴を持っている。 どのような概念でも、リスクにチャレンジする精神なくして将来はない。
名古屋経済圏の製造業の遺伝子
現在愛知県は県単位の製造出荷高が全国で1位である。 平成15年度の実績で、出荷額シェア全国の13%、事業所数が全国の9.3%、従業者数が全国の9.7%である。 しかもその主要な品目は自動車関連、飛行機関連の輸送関連機器であり、どれも日本が世界に通じる技術力である。 この世界に冠たるものづくりの遺伝子はどのようなものであったのだろうか? 先の豊田家の織機技術は栄生工場から三河に拠点を移し、東海地方だけでなく日本の紡績産業を支えた。 これによって蓄積された財を使いやがて世界に冠たる自動車産業へと成長していった。
戦前戦後を通じて名古屋にはもうひとつ大きなものづくりの流れがあった。これが時計計測器から始まる飛行機産業であった。 その担い手が三菱である。三菱(重工、電気、自動車)の歴史においても名古屋製作所の位置づけは非常に大きなものであった。 特に高度成長期には名古屋市内の中小の製造業の多くはこの三菱関連の仕事が中心であった。
名古屋のものづくりの歴史は、 江戸時代のからくり人形にさかのぼる。 江戸時代に爆発的に急増した木材需要(築城、町屋の火事による需要)により、 良質なヒノキ材を産出する木曽が日本の産業史の中に登場することになる。 木曽から切り出される木材を使った工業品は、 主要な部位に良質の木材を使った柱時計からの時計技術そして計器類製造業へつながり、 そのほかにも仏壇仏具から、車両、飛行機それらの関連部品まで、良質な木材を使った産業から発展していった。 明治時代になり、紡績産業、陶器産業、軍需兵器産業がこの地に生まれた。
紡績産業は豊田佐吉の自動織機産業・ 自動車産業に発展し特に自動車産業裾野は広く工作機器等のメーカを多く生んだ。 陶器産業は世界に冠たるノリタケチャイナに発展しその後のセラミック産業へと受け継がれている。 軍需兵器産業がその後の飛行機産業に発展した。この流れをくむのが三菱重工名古屋製作所である。 三菱は重工のほかそのほか電気、自動車の製作拠点を名古屋周辺に展開していった。 名古屋市内の三菱重工跡地は現在中日ドラゴンズのナゴヤドーム球場となっている。 このような経緯をたどって、現在、愛知県から岐阜県にかけての三菱重工だけでなく、川崎重工、富士重工等の飛行機産業と、 三重県・愛知県・静岡県の自動車、輸送機器産業が成り立っている。
名古屋の新しいビジネスセンター
金融センターと同時に新しいビジネスエリアのコアとなるエリアが必要となる。 名古屋の従来の広小路・伏見のゼネコン等を中心とする地場産業のヘッドコアの密集地区に相当するエリアである。 ゼネコンを通じた財政投資による景気刺激策はオールドエコノミーと呼ばれるものである。 これに換わってニューエコノミーと呼ばれるものが既に登場している。
通常ニューエコノミーはIT関連のネットビジネスである。しかしこれは東京に限ったことであって名古屋には関係が無い。 1990年代以降名古屋経済圏から誕生した店頭公開企業の中にネット関連企業はそれ程多くない。 名古屋圏が模索するニューエコノミーはIT関連産業ではない。
世界に通じるきわめて収益性の高い製造業、特に輸送機器に関連したハード、ソフト両面からの新産業であろう。 輸送機器から派生するベンチャービジネス、製造技術を育成支援するサービス産業。アウトソーシングス産業。技術移転のコンサルティング。研究リサーチサービス。 人材育成産業。ロジスティックス産業である。それと輸送産業のソフト面である観光産業である。 このような産業の都市部のゲートシティーとして特色あるビジネスセンターが名古屋駅前エリアに登場する可能性がある。
ビジネスセンターになるには、その必然的な条件が前提となる。 アメリカのIT産業のメッカであるシリコンバレーがよく産業クラスターとして紹介される。 しかしその報道イメージはまるで何も無かった原野に突然IT産業が登場したかのような紹介のされ方である。 資源の何にも無い地方都市に可能性を持たせることができるかもしれないが、甘い認識からハイテク産業誘致の開発を行い、 失敗するケースは日本においてしばしば見られる。産業クラスターが成り立つにはそれなりの必然性がある。 何にも無い内陸の遊休地にいきなりシリコンバレーを作ろうとする行政手法とはまったく違う。
アメリカのシリコンバレーには、何をおいてもそこで人が住みたくなるような澄みわたる青い空・温暖な気候、 近くに大消費地となるL.A等の都会がある事、スタンフォード、UC等のトップクラスの大学研究機関がある事、 リスクマネーが存在する事(カリフォルニア気質、西部開拓気質)、優れた人材が評価される仕事場が存在する事。 これだけの要素があってはじめて産業クラスターと呼ばれるシリコンバレーが振興する必然性が生まれてくる。 クラスターの本質は要素間の本質的な距離(ロジスティック)であり、 これらの要素がコラボレーとして競争優位ある産業セクターを作り上げるのである。 クラスターの一番の特徴はイノベーションである。イノベーションが起きうる環境作りが必要となる。
名古屋には優良企業、 大消費地、良質な水等の生活環境、そしてファイナンスがあればあと無いのは、大学等のインキュベーター機能である。 最近学歴ロンダリングと言う言葉がある。日本の経済社会ではなぜか最終学歴しか問わない。 2流、3流の大学をでた人が大学院に行って学歴をメイクする事を意味するらしい。 しかし名古屋に赴任してきた上場会社の30歳代のビジネスマンが名古屋で社会人大学院に通うと、 せっかく最終学歴が早稲田、慶応と言った有名私立大学にもかかわらず、 名古屋の2流、3流大学が最終学歴となってしまう。 早く東京に戻りたいというのが本音らしい。
実際の話、会社から資金を出してもらったわけでもないのに、名古屋で社会人大学院に通ったばかりに、 最終学歴が書き直されて社内的な学歴が見劣りしてしまったという苦情を聞いた事がある。 もちろん企業側にも大学院に通う事を理解できず、転職を目指す者のする事と誤解することも有り、 正しい理解がされていない事がある。 何れにして、10年20年前の大学時代の知識が通用する時代ではない。ビジネスマンとしての新しい知識のリライトが必要となる。 このようなニーズに応える大学院が必要となる。
「生涯二転職四学習」
経済財政諮問会議に提出された日本の21世紀ビジョンの中で、「生涯二転職四学習」と言う言葉が用いられている。 生涯二転職四学習は文字通り生涯で2回転職し4回学習をする意味である。 大学の法人化に伴って、社会人に対する高度な知識の習得を大学院の明確な位置づけにはなっている。 第一線の実務の現場で必要とされる知識とは何か?それが問題である。
ビジネスマンの学習(MBA)を生涯学習と勘違いしている社会人も多い。 ビジネスマンはトリビアの泉の薀蓄知識をほしがっているのではない。 ビジネスで実践できる最先端の理論、オリジナルなモデル開発である。対象は社会人ではなく、ビジネスマンである。 その一方で学校関係者の中には、社会人大学院は大手有名企業から専門業界人を講師に集め、 彼らに任せておけばいいと逃げてしまっているケースも多い。 社会人がわざわざ大学院に行ったにもかかわらず社会人から教えを請うて何の意味があろうか?
ビジネスマンのニーズは他と差別化できるオリジナルなビジネスモデルを開発できる最新の知識のリライトである。 海外の学会等で注目されている最新のモデルを参考にオリジナルなモデルの開発が目的となる。最先端の理論の紹介にあるはずである。 逆にこれらの機能がないところで世界に通じる産業クラスターは成り立たない。
ミッドランドスクエアーには、毎日新聞が参加している。このようなメディアの新産業としての知識産業も大きな期待が寄せられる。 又名古屋駅前は専門学校が多く存在するエリアでもある。大学を卒業してから専門学校に行くケースの増えていると聞く。 決して出来ない事は無いはずである。しかし現状では ビジネスマンに付加価値をつけスキルアップしていくインキュベーター機能(仕組み)が名古屋駅前には欠落している。
将来の日本の重要な産業となるだろうといわれているグラフィック・アニメ産業の産業構造が、 東京・大阪・名古屋の三大都市圏で約8割を占めている。しかしその実に6割を東京を占めているといわれている。 名古屋は確かに現在世界に冠たる輸送機関連産業を擁しているが次世代にたいする投資はどうなっているのだろうか? 次世代である10代の若者がこれらの知識習得をしているのは名古屋駅前など都心部にある専門学校である。 アカデミー⇔ビジネスの拠点は大学だけではない。大学、専門学校、財界、行政が連携できる新しい支援センターが必要になる。
名駅四丁目には愛知県の中小企業センターがある。この建て替え問題が以前から構想としてある。 愛知県の財政難からなかなか進まない構想でもある。 名古屋の都市構造のも特徴は路線沿いにおいて開発は進むが裏に入ると開発が進まない。 いわゆる点と線の開発である。 栄3丁目で名古屋の夜間高校の跡地のナディアパークが出来たことによって面で栄三丁目が面で活性化されたエリアとなった。 それが今の栄の八手に非常に大きく寄与している事は説明するまでもない。 このナディアパークは名古屋市の開発物件である(信託運用)。 名古屋駅前の愛知県の中小企業センターが正に同じような位置関係にある。
新しい名古屋圏のビジネスセンターとしての名古屋駅前が拡大成長するためには、 民間だけでは進まない産官学のネットワーク作り、サポートセンター、インキュベータ機能が必要となる。 このような社会的ニーズを担えば、この再開発を行う意義は非常に大きなものとなろう。
追記:中区丸の内にある産業貿易会館、昭和区の勤労会館を集約した県産業労働センター(仮称)が計画(2009年末完成予定)されている。 この計画に連動して隣接する中部経済新聞、名鉄不動産が建て替えを推進している。
ジャパンセントラルクラスターのコアとして、そしてクラスターのフロントとして
トヨタ企業群は豊田市のトヨタ元町工場を中心に展開し、 海外とのインターフェースとして中部新空港セントレアを持ち、 国内のインターフェースとして名古屋駅前に企業拠点を展開している。 これら名古屋駅前、セントレア、元町工場はほぼ等距離にあり、産業クラスタートしてのトライアングルを形成する。
クラスターで重要な事は、人、物、財、資金(職、住、学、財)のロジスティックスの利便性であり、 ロジスティックスのネットワークこそがクラスターの象徴となる。 名古屋駅前がこのトライアングルの頂点の一つ、国内のインターフェースポイントであり、 かつこのクラスターのフロントになるべくポジションにある。
おそらくこの輸送機関連産業クラスターの唯一のウイークポイントは資金の流れであろう。 輸送機関連産業は、細かい企業のピラミッドによって形成される。 これら企業に対する新規ビジネスへのファイナンスが良好になされること無くこのクラスターの将来はありえない。
トヨタ自動車が新興の時代に、関連企業に対して東海銀行がファイナンスをした時代を経て、今のトヨタ企業群が出来上がっている。 東海銀行なきあとどの様なファイナンスシステムが登場するかは、トヨタだけの将来ではなく、 日本の将来に非常に大きな関心事であるはずである。 三菱東京UFJの名古屋に対する取り組みに注目したい。
東海環状自動車圏における自動車だけでなく航空機産業などあらゆる輸送機器関連の産業のサプライチェーンは、 名古屋という都市圏を中心にして日本を代表するクラスターの発展する可能性がある。 日本有数の肥沃な濃尾平野の産業資源を十分に生かした、愛知三河から静岡遠州、 岐阜東濃、三重北勢に広がる可能性がる一大産業圏である。
すでに地価後高騰し始めている三河エリアを補完するエリアとのネット枠作りが急務となる。 港湾整備、空港の更なる整備、自動車道路・鉄道輸送網の整備、 そして何よりも優れた人材が魅力を感じ集まるソフト社会資本の整備が望まれる。 人の魅力ある集客は、何も特別なことをしなくてもそれ自体が新たな観光産業等の新産業を生むことになる。
観光産業
将来の日本において大きく育成すると期待されている産業の中に観光資源を利用した観光産業がある。 名古屋駅を中心にして200km県内の中に東は富士山を経て伊豆熱海、北は飛騨高山、 立山連峰を経て福井金沢富山の北陸、西は京都・熊野南紀、南は伊勢志摩までカバーできる。 京都に関して言えば、名古屋駅から新幹線のぞみで38分で着く。日帰りの圏内となっている。
この圏内には日本の100名山の内およそ35箇所が点在し、80余の国定公園・国立公園のうち3割弱がやはり点在する。 これらの日本有数観光資源のゲートシティーが中部新国際空港、名古屋駅を中心にした名古屋となる可能性がある。 日本の観光産業を名古屋は中心になって牽引する事がむしろ日本のニーズかもしれない。
名古屋駅前にはロジスティックスに関するハード面のメーカであるトヨタと、ソフト面のメーカであるJR東海が存在する。 これに中部国際新空港というインフラがコラボレートすれば観光産業のゲートシティーとなりうる要素は十分にある。 そのためには空港、鉄道、バス等の自動車がドアtoドアでサービスを提供できる、 名古屋駅ターミナル等の更に充実したインフラ整備が必要になる。 輸送機器の製造に秀でた名古屋だからこそ提供できるソフト面でのニュービジネスである。 長期的に名古屋の代表的な産業となる事を期待したい。
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